こんにちは!
「やりたいことを見つける専門コーチ」よっちゃんです。
今日は、最近ふと思ったことをつらつらと。
自分なりに、
いろんな挑戦をしてきてるなぁと感じる人生なのですが、
挑戦を重ねるたび、
年齢を重ねるたび、
得ているものは“余計な思考の削ぎ落とし”のような気がしています。
何かモノや賞賛を得ていくことではなく、
物質的な成長を得ていくことでなく、
今の自分に必要ないと思うことを削ぎ落とす勇気を得ている気がするんです。
削ぎ落とせば削ぎ落とすたび、
すごく心が軽くなる感覚があって。
例えば、
「こう見られたい」という気持ちの削ぎ落とし
「承認を得たい」という気持ちの削ぎ落とし
「失敗したくない」という気持ちの削ぎ落とし
「すごいことをやってやるんだ」という気持ちの削ぎ落とし
物質的な成長ではなく、様々な経験から心の成長をしていくたび、こういうのどんどん削ぎ落とされていく感覚があります。
そういう感覚を感じるたび、
「あ、一皮むけたな」
みたいな感じがあって。
一皮むけたっていうのは、
キラキラしていくとかすごい人になっていくとかじゃなくて、
ありのままの、素の自分を受け入れていく感じ。
自分なんて宇宙から見たらちっぽけ、自分が今日何をしたって世界的に何の影響もない。
それでも自分にとってはかけがえのない行動を日々大切にしていく。
それでいいし、それがいいんだよなぁって。
求めているものはただ「日曜日の夕方にのんびりテレビを見ながら家族みんなでたい焼きを食べる」みたいな光景。
何かを成し遂げるために生きているわけじゃなくて、大小関係なく、自分のやりたいことをして、大切にしたいものを大切にするために生きている。
ただそれだけ。
人生はずっと問題が続く。
モヤモヤや悩みや不安が全くなくなることはないんだと思う。
でも、何度も何度も問題に押しつぶされそうになって心の元気が無くなってしまうとき、私たちは何かを持ち過ぎているのかもしれない。
「失敗したらどうしよう」
「認められなかったらどうしよう」
そんな思考を。
赤ちゃんはきっと「失敗したらどうしよう」って思ってない。
我が家にいる0歳児も、毎日失敗を恐れず自分のやりたいことに果敢に挑戦している。
だから、失敗は多くても毎日心は喜んでるはずだ。
今日もつかまり立ちをしては、自分で座ることができなくて、立ってるのが辛くなってきて泣いているw
そして、私たちもそんな赤ちゃんだった。
「失敗したらどうしよう」って思っていない時期があった。
大人になるにつれて「どう見られるか」を気にする思考が身についた。
それは生きていく上で必要なこともあるけれど、過剰になると、自分の幸せからは遠のく。
何事も「過ぎる」のは良くない。
生まれた時は何も持っていなかったのに、どんどん余計な思考を身につけていく。
そして、それに心を縛られてしんどくなる。
縛られた心は、私たちの自由を奪う。
「世間の普通を外れるな」と。
「世間の普通」に縛られた状態は息苦しい。
その苦しさに気づいて、今度は自分の身につけ過ぎた余計な思考を削ぎ落としていく。
一枚一枚。
玉ねぎの皮を剥いていくように。
そして、
おしゃれに見られるようにブランド物を買うのではなく、自分がずっと手元に置いておきたい愛すべき一品を手に入れることが出来るようになる。
得のある人間関係を選択するのではなく、共に時間を過ごしたいと心から思う人との時間を使うことが出来るようになる。
いいねや承認を得るための表現をするのではなく、自分の気持ちを自分の言葉で表現することが出来るようになる。
そうすることで自分にとってのかけがえのないもの、かけがえのない人、かけがえのない時間が見えてくる。
私たちには、余計な思考を削ぎ落とし、自分にとってかけがえのないものは何か?を知るために「やりたいこと」が必要だ。
軸があることで、何を削ぎ落とせばいいか?が見えてくるから。
軸があることで、削ぎ落とすことが怖くなくなるから。
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